猿ケ馬場峠で休んだ後
こんどは「聖博物館」へ向かいました。
実は以前、クルマで来たことがありまして
聖博物館にはなぜか戦艦陸奥の主砲の砲身が飾られていまして
40年ぶりぐらいにそれを見に行きたくなったのです。
当時私はCR-XというHONDAのライトウエイトFF自動車に乗っていまして
聖高原へのクネクネ道をものすごく楽しく走った思い出が有ります。
後部座席が極端に狭く作られていてほぼ二人乗りのスポーツカー的な
クルマで日本の狭い山道では大排気量のクルマに負けないキビキビした
面白いクルマでした。当時HONDAはF-1のコンストラクターズチャンピオンに
なりましてその記念モデルに乗っていました。
限定で400台しか作られていませんでした。
ホンダのホームページからダウンロードさせてもらった
そのF-1スペシャルの画像です。↓

今でもずっとHONDAファンですが面白さという点では
今まで乗った車の中で一番楽しかった様に思います。

聖湖からさらに登って行きました。


聖博物館に到着しました。
なんと!外に展示してある飛行機や戦艦陸奥の主砲を見る分には
無料で見学できると書いてありました。ラッキー♪
以前来た時は博物館の中も見学しました。
その時は秋だった様に思うのですがストーブが焚かれていて
果物の「イチヂク」の漬物を中でご馳走になったのを憶えています。
上のバラードスポーツCRーXの画像に有ります様に1986年の秋、
つまりざっと40年位前の事なのでほとんど憶えてりません。

お庭の中に入らせてもらいました。


私が幼いころ父親に自衛隊の航空ショーに
見に連れてってもらった時に飛んでいたF-86セイバー。
懐かしくて涙がちょちょぎれます。

そして、お目当ての戦艦陸奥の主砲。
主砲と言っても砲身だけですが。
なんでこんな山奥に有るのか?
その説明が書いて有りました。

でも、いったいどのようにして運んできたのか、
あのクネクネ道の坂の道を運んできたことを想うと
強烈に大変だったのではないでしょうか。
20m近く有ります。厳密には19m有るそうです。
山道を曲がりきれるのか!?(@_@)

直径41cmの砲弾。





ライフルの様に溝が螺旋状になっていました。









陸奥の砲身だけでは無く、いったいどうやって
運んできたのでしょう??
こんどもういっぺん行って博物館の人に聞いてみやんとあきません(;'∀')
テレビで町の中を新幹線を運んだり、
狭い山道を風力発電の風車を運んでいるのは見たこと有りますが
ここの展示品はかなーり昔から有るので当時の事を思うと
ほんとに大変だったでしょうね。







博物館前でもぐもぐタイム。
博物館の向かい側にはキャンプ場が有りました。夏でも涼しそう!


40年の時を挟んで戦艦陸奥の主砲に会いに来れて良かったです。
※いつもありがとうございます。

にほんブログ村
こんどは「聖博物館」へ向かいました。
実は以前、クルマで来たことがありまして
聖博物館にはなぜか戦艦陸奥の主砲の砲身が飾られていまして
40年ぶりぐらいにそれを見に行きたくなったのです。
当時私はCR-XというHONDAのライトウエイトFF自動車に乗っていまして
聖高原へのクネクネ道をものすごく楽しく走った思い出が有ります。
後部座席が極端に狭く作られていてほぼ二人乗りのスポーツカー的な
クルマで日本の狭い山道では大排気量のクルマに負けないキビキビした
面白いクルマでした。当時HONDAはF-1のコンストラクターズチャンピオンに
なりましてその記念モデルに乗っていました。
限定で400台しか作られていませんでした。
ホンダのホームページからダウンロードさせてもらった
そのF-1スペシャルの画像です。↓

今でもずっとHONDAファンですが面白さという点では
今まで乗った車の中で一番楽しかった様に思います。

聖湖からさらに登って行きました。


聖博物館に到着しました。
なんと!外に展示してある飛行機や戦艦陸奥の主砲を見る分には
無料で見学できると書いてありました。ラッキー♪
以前来た時は博物館の中も見学しました。
その時は秋だった様に思うのですがストーブが焚かれていて
果物の「イチヂク」の漬物を中でご馳走になったのを憶えています。
上のバラードスポーツCRーXの画像に有ります様に1986年の秋、
つまりざっと40年位前の事なのでほとんど憶えてりません。

お庭の中に入らせてもらいました。


私が幼いころ父親に自衛隊の航空ショーに
見に連れてってもらった時に飛んでいたF-86セイバー。
懐かしくて涙がちょちょぎれます。

そして、お目当ての戦艦陸奥の主砲。
主砲と言っても砲身だけですが。
なんでこんな山奥に有るのか?
その説明が書いて有りました。

でも、いったいどのようにして運んできたのか、
あのクネクネ道の坂の道を運んできたことを想うと
強烈に大変だったのではないでしょうか。
20m近く有ります。厳密には19m有るそうです。
山道を曲がりきれるのか!?(@_@)

直径41cmの砲弾。





ライフルの様に溝が螺旋状になっていました。









陸奥の砲身だけでは無く、いったいどうやって
運んできたのでしょう??
こんどもういっぺん行って博物館の人に聞いてみやんとあきません(;'∀')
テレビで町の中を新幹線を運んだり、
狭い山道を風力発電の風車を運んでいるのは見たこと有りますが
ここの展示品はかなーり昔から有るので当時の事を思うと
ほんとに大変だったでしょうね。







博物館前でもぐもぐタイム。
博物館の向かい側にはキャンプ場が有りました。夏でも涼しそう!


40年の時を挟んで戦艦陸奥の主砲に会いに来れて良かったです。
※いつもありがとうございます。
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