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高山村子安温泉から毛無峠へ向かったお話の続きです。


この分岐を右に入って行き毛無峠に向かいました。

峠に向かっては下り気味に進んで行きました。
どうやら先ほどのピークの辺りの方が標高が高かったのかもです。



雲の中に入っていて周りの景色はほとんど見えませんでした。

風が有ったのでどんどん雲が動いて行っていました。



毛無峠に着きました。
景色はやはり雲に覆われほとんど見えていませんでした。


お盆というのにとても寒く
雨も降って来て雨具を着ました。


1927年に小串鉱山が開かれ2000人以上の人が暮らしていて
硫黄を採掘していたのですが
1937年に山津波が発生し鉱山で働いていた人たちの家族が犠牲になり
245人の方がお亡くなりになったそうです。
今でも鉱山の採掘に使っていた索道跡が残っています。↑


食事を食べたり休憩していたら
少し視界が晴れて来ました。







クルマで来ていた人がグライダーの模型を飛ばしておられました。




この「群馬県」の文字がどんどん薄くなって行っているのが
峠マニアの人の話題になっているそうです。



標高1823m 毛無峠
ここへ来るまでは高安村からの強烈な登りが大変でしたが
(16%の傾斜の坂もあるそうです。)
他の峠にはない独特の雰囲気が有る景色が凄い峠だと思います。
※いつもありがとうございます。

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高山村子安温泉から毛無峠へ向かったお話の続きです。


この分岐を右に入って行き毛無峠に向かいました。

峠に向かっては下り気味に進んで行きました。
どうやら先ほどのピークの辺りの方が標高が高かったのかもです。



雲の中に入っていて周りの景色はほとんど見えませんでした。

風が有ったのでどんどん雲が動いて行っていました。



毛無峠に着きました。
景色はやはり雲に覆われほとんど見えていませんでした。


お盆というのにとても寒く
雨も降って来て雨具を着ました。


1927年に小串鉱山が開かれ2000人以上の人が暮らしていて
硫黄を採掘していたのですが
1937年に山津波が発生し鉱山で働いていた人たちの家族が犠牲になり
245人の方がお亡くなりになったそうです。
今でも鉱山の採掘に使っていた索道跡が残っています。↑


食事を食べたり休憩していたら
少し視界が晴れて来ました。







クルマで来ていた人がグライダーの模型を飛ばしておられました。




この「群馬県」の文字がどんどん薄くなって行っているのが
峠マニアの人の話題になっているそうです。



標高1823m 毛無峠
ここへ来るまでは高安村からの強烈な登りが大変でしたが
(16%の傾斜の坂もあるそうです。)
他の峠にはない独特の雰囲気が有る景色が凄い峠だと思います。
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